他人から言われたちょっとした一言が頭から離れず、夜寝なきゃいけない時間になってもなかなか寝付けない。
本当にちょっとしたことだからたぶん言った相手はそこまで深くは考えてないはずだけど、でもそういう時って「今日やったこと全部ダメだったのかも」って考えてしまったり、自分の全部が拒否されてしまったような気持ちになってしまう。
そして、そんなちょっとしたことで傷ついて凹んでる自分に「なんでたったそれくらいでそこまで傷ついてるの?」とさらに自分が嫌になります。
私はたぶん傷つきやすいタイプです。
そんな自分が嫌で嫌で仕方なくてずっと認めたくなかったのですが、30代に入ってから受け入れられたというか、少しだけ諦めがつきました。
30代になって色々と考え方が変わってきたことと、書くことで整理できるかもしれないと思って今回ブログにしてみました。
すぐ傷つく自分をなんとかしたい
人の言葉を深く受け取りすぎてしまう
家族や友達、会社の人との日常会話だったり、仕事の話についてだったり、何気ない会話の中で相手が対して深く考えて発言したことじゃない言葉に落ち込むことがあります。
たぶん本当に何気ない発言だとは思うのですが、そういう悪意のない言葉って内容によってはむしろ傷つくことがあるんですよね…。
でも空気が悪くなるのが嫌でそれを相手に傷ついたことを伝えたり、その真意を聞くことなんてできません。なのでそんな日はどんより気分で夜寝るときまでその発言を思い出しては凹んでを繰り返し夜寝つくまで時間がかかります。
本当は悔しいし、笑う場面じゃないのが分かっていてもヘラヘラしてしまう
もちろん言われた内容によっては傷つくだけじゃなくてムッとしたり、悔しい気持ちになったりすることもあります。
そういう時も空気を悪くしたり、相手を怒らせて状況を悪くするよりは自分が我慢すれば済む話だよなと笑って済ませることがほとんどです。
私ってなんでこんな何だろう、ってよく自己嫌悪に陥ってました。
でも最近、少しずつ考えが変わってきた
でも、30代になり転職を何度か繰り返して色々な性格の人と出会うことで少しずつ考え方が変わってきました。
20代の時は仕事を覚えることに必死だったり、労働環境がブラックでベースのメンタルが弱っていたり、そういうこともあるよね、と考える余裕がありませんでした。
でもある程度年齢を重ねて、会社で一回り離れた自分のことでいっぱいいっぱいの新卒の子や、自分よりも年上なのに自分中心で人を蹴落とすことばかり考えている人や、自分に害がなければ他人はどうでもいい人、そんな感じでいろいろな理由から自分のことしか考えていない人をたくさん見かけてきたことで、ほとんどの人って周りのことをそこまで考えていないのでは?と思うようになりました。
そういう考えになってからは、変わらず傷つくことはあっても言われた内容に中身がなくて参考にする必要がないものである場合は聞き流すことが出来るようになってきました。
“気にしすぎ”な自分に救われてきたこともある
考え方が変わってきて聞き流すこともできるようにはなってきましたが、気にしすぎな自分に救われたこともあります。
それは、どの環境にも一人はいるトラブルメーカーな人と揉め事を起こさずここまで過ごしてこれたことです。
相手の発言を気にしすぎるせいか「あ、これ以上は止めた方がいいな」と何となく思って笑って誤魔化してその場を去ることをよくしていたのですが…わりとその判断が正しかったようでその場を離れていなかったら揉め事に巻き込まれていたということが多々ありました。
気にしすぎて心が疲れてしまうのはもちろんよくないですが、気にしすぎはある意味自己防衛の一種なのかなと今なら思えます。
傷つきやすい自分を完全に受け入れることはこの先もきっとありませんが、でもこうして文章にまとめたことで自分の気持ちを整理することが出来てよかったです。
たぶんこれからも傷つきやすい部分がなくなることはないと思いますが、そんな自分と上手く付き合ってけるようになれたらいいなと思います。
コメント