『退職代行』――
最近ではSNSやニュースでもよく目にするようになった言葉ですが、正直なところ私にとっては「どこか遠い世界の話」だと思っていました。
それがある日突然、 “自分の仕事” として現実に降ってきたんです。
退職代行からの電話を受け、辞めた社員の対応を任されることになったのはいつもの朝のことでした。
正直、戸惑いもありましたし、虚しさのようなものもありました。
でもそれと同時に「今の退職代行の使い方ってこれでいいのかな?」と、改めて考えるきっかけにもなったのです。
今回は、そんな私の体験を通して感じたこと、そして「退職代行」という制度に対して今思っていることを率直に綴ってみたいと思います。
退職代行を使われて初めて感じた “去り方” の重さ
突然やってきた退職代行という現実
「お世話になります。退職代行〇〇の××と申します。貴社にお勤めの△△様よりご依頼を受け、退職のご連絡をさせていただきました。今後は弊社が窓口となりますので、ご本人様やご家族様へのご連絡はお控えください。」
そんな連絡が入ったのは、何の変哲もない、いつもと変わらない朝のことでした。
それまで “ニュースの中の出来事” だった退職代行が、突然目の前の現実として現れた瞬間でした。
その日は、ちょうど通常業務に追われていた最中。
そこへ割り込むように、非日常的なその電話がかかってきたことで空気が一気に張りつめました。
「まさか、退職代行って本当にあるんだ…」そんな気持ちと同時に、「じゃあこれからどうするの?」という戸惑いが、じわじわと押し寄せてきたのを今でも覚えています。
突然の退職、残された仕事と混乱と
退職代行を使って辞めたのは、新人ではなくある程度長く勤めていた社員でした。
日常的に業務も多く抱えていて、周囲から見ても信頼されていた存在だったと思います。
ですが、引き継ぎは一切なし。
本人への連絡も「控えてください」と退職代行から念を押され、実際、連絡はつかないまま。
そのまま即日退職が決定し、姿を見かけることは二度とありませんでした。
まるで最初からいなかったかのように、存在だけがスッと消えていく。
でも、本人が抱えていた業務はそのまま残ります。
当然、引き継ぐのは周囲の社員。つまり、私たちです。
「会社を辞めるって、こんなに簡単でいいのかな?」
困惑とともにそんな疑問が浮かびました。
ふと頭に浮かんだのは、「飛ぶ鳥、跡を濁さず」という言葉。
……きっと、辞め方ってすごく大事なんだと思います。
辞める自由と“去り方”の責任
退職代行という制度に、私は正直いまも複雑な気持ちを抱えています。
「退職代行はよくない」と一方的に否定したいわけではありません。
でも、「どんな辞め方をしてもいい」と考えるのはやっぱり違うと思うんです。
どんな理由であれ、どんな状況であれ――
会社を辞めるというのは、自分の意思で「ここまで」と区切りをつける行為です。
その時に、“これまでお世話になった職場や人に対して最低限の責任を果たす” という意識は必要ではないでしょうか。
特にある程度の期間働いていた人であれば、日々の業務に関わる誰かがいて、備品の手配や教育、引き継ぎなどにも多くの人の手間や時間がかかっていたはずです。
それらをすべて「なかったこと」にして、最後の連絡すら自分でせず電話一本で終わらせてしまうのは――やはり、少し寂しい辞め方だと私は思います。
辞める自由はあって当然。
でも、どんなふうに辞めるかという “去り方” にも、やっぱり責任は伴うのではないでしょうか。
退職代行で辞めたあの人の“その後”と私の気持ちの変化
退職代行を使って辞めた社員――
実はその後、引き継ぎの情報が不十分だったために、会社側から直接本人に確認を取らざるを得ない状況になりました。
退職代行会社を通じてやり取りは行われたものの、事前の引継ぎはほぼ一切なく、結果として「どうしても本人に聞かないとわからない」という状態に。
職場ではどこかモヤっとした空気が漂っていたのを覚えています。
突然辞めてしまったという驚きに加え、引き継ぎもほとんどないまま業務だけが残されていたため、
正直なところ、あまり良い印象を持たれていなかったのも事実です。
私自身もそのやり取りを見て思いました。
「退職代行を使うのは選択肢の一つとしてあってもいいけれど、もう少し計画的に動けていたら本人にとっても周囲にとっても良かったのでは…」と。
せっかく費用をかけてまで利用した退職代行。
なのに、結局本人と会社が直接話すことになったのであれば、それは本当に望んでいた結果だったのかな…と、今でも考えることがあります。
“気軽に使われる退職代行” が生むもうひとつの弊害
私は退職代行という仕組み自体を否定したいわけではありません。
それでも、やはり「使い方」には慎重さが必要だと感じています。
あの出来事を経験してからというもの、「退職代行って気軽に使えて、ちょっといいかもしれない」そんな印象が社内にも少しずつ広がっているように思います。
でも、それって本来のあるべき姿でしょうか?
退職代行は本来 “どうしても一人では辞められない人” のための最後の手段。
心や体を壊しかけている人にとって命を守るための逃げ道にもなり得る、とても重要な制度のはずです。
けれど、もしこれが “安易に使われる手段” として定着してしまったら――
制度そのものに対する世間の目は厳しくなり、本当に必要としている人まで「使いにくい空気」に包まれてしまうかもしれません。
「退職代行って無責任な人が使うものでしょ?」
「またすぐ逃げるんじゃないか?」
そんなレッテルが貼られてしまったら、制度の価値はどんどん失われていってしまいます。
誰かの命綱になり得る制度だからこそ、その価値を損なうような使われ方が広がっていくことには強い危機感を覚えるのです。
退職はゴールじゃなく誰かにバトンを渡すこと
誰かが会社を辞めるとき、その裏側には必ず残される人がいます。
そして、その人が辞めた後の業務を引き継ぎ穴を埋めていくのもまた、同じチームの誰かです。
私自身これまでに何度か転職を経験してきました。
その一方で、退職する方の業務を引き継ぐ立場になることも何度もありました。
そのたびに感じるのは、「引き継ぎって本当に大事だな」ということです。
たとえ短い期間の在籍であっても、自分が関わった業務のどこかには、誰かの時間や手間が使われています。
だからこそ、「辞める」という決断はゴールではなく、次にバトンを渡すまでが一区切りだと私は思っています。
もし今この記事を読んでいるあなたが、退職代行の利用を考えているとしたら――
その選択を否定するつもりはありません。
ですが、どうか「引き継ぎのこと」「残る人のこと」もほんの少しだけ頭に置いておいてもらえたらと思います。
そして、どうしても心身が限界で自分で動けないという状況にあるのなら。
無理せず、信頼できる退職代行を頼ってください。
その選択が、あなた自身を守るために必要なこともあるはずです。
ただ一つ願うのは――
あなたの決断が、誰かにしわ寄せを押しつける形ではなく、未来に進むための前向きな一歩となることです。
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