無理に繋がらなくても、大丈夫だった話

私の心のノート

人との“繋がり”って、とても大切。
でも同時に、繋がり続けることって、思っている以上に疲れてしまうものです。

特にスマートフォンが普及した今は、
LINEやSNSで24時間いつでも誰かと繋がれるぶん、
“繋がること”そのものが重視されていて、
気づいたらちょっと疲弊していた…なんてことも、あるのではないでしょうか。

私自身、そんなときは、あえて“繋がらない”選択をすることもあります。
でも、不思議なことに――
繋がらなくても、ちゃんと残る繋がりもあるんです。

今回はそんな私の実体験から、
「繋がることにちょっと疲れてしまった」あなたに向けて、
“頑張って繋がらなくても大丈夫だよ”という気持ちを、そっと届けられたら嬉しいです。

 

“繋がり” は素敵なこと。でも、いつも必要なわけじゃない

“繋がり” を維持し続けることに疲れる日々

はじめにいきなりですが、
私は人と繋がり続けることがとても苦手です。

映画、ゲーム、漫画、そしてバイオリン……
いろんなことに興味を持ってしまう私は、
プライベートな時間を趣味に没頭して過ごすのが好き。
誰かと一緒に楽しむより、自分の世界に浸りたいタイプです。

だからこそ、「グループや派閥に所属するのが当たり前」みたいな空気の場所では、
頑張って周囲に合わせていないと、すぐに浮いてしまうこともよくあります。

でも、繋がりを維持するって、正直ものすごく大変なんです。

相手の好みに合わせて話題を選んだり、
空気を読んでお世辞を言ったり、
1日中気を張りつづけた日は、もうクタクタで……
家に帰る頃には、へとへとになっていることも珍しくありません。

営業職の方のように、日々“繋がり”を意識して動く人たちを見ると、
本当にすごいなと尊敬してしまいます。

正直なところ、どんなに仲のいい友達でも――
ずっと一緒にいたら、私はちょっと疲れてしまう。
それくらい、私にとって“繋がりを維持すること”は、
エネルギーのいることなんです。

 

“繋がらない” 選択も、時には自分を守ることだった

スマートフォンが普及して、今では24時間、誰とでも繋がれるようになりました。
便利になった反面、メッセージを未読のままにしたり、
既読にしてもすぐに返さなかったりすると、
「なんで返事してくれなかったの?」と責められることもあります。

…正直、それってすごく疲れますよね。

私も、LINEが流行りはじめた頃は必死に頑張っていました。
でもある日、ふと疑問に思ったんです。

「たった一通のメッセージに振り回されて、
趣味の時間や、ひとりの時間を削る必要ってあるのかな?」って。

それ以来、私は少しずつ “繋がらない” 選択を取り入れるようになりました。

すぐに返す必要がない内容なら、あえて時間を置く。
夜に届いたメッセージには、翌朝「ごめん、昨日はもう寝ちゃってた」と返す。
日中も出先なら「ごめんね、ちょっとバタバタしてて」と正直に伝える。

そうして、“返せるときに返す”という自分なりのスタンスを、
少しずつ周りにも自分にも定着させていきました。

その結果、無理に誰かに合わせすぎず、趣味の時間を削ることもなくなって、
目の前の人や出来事にしっかり向き合えるようになったんです。

「繋がらない」って、冷たいことじゃない。
それは時に、自分を守るための、優しい選択肢なんだと思います。

 

思い切って “ひとり” を選んでみた

実は私、スマートフォンが普及する前――
学生時代にも「繋がらない」選択をしたことがあります。

入学したばかりの頃、最初は席の近かった子たちと一緒に過ごしていました。
でも、その子たちの会話は誰かを下げたり、悪口が中心で…。
一緒にいても全然楽しくなくて、「このままクラス替えまで続くのかな…」と考えると、どんどん気が重くなっていきました。

結局、そのグループを抜けることにしました。

その後も、他のグループに誘われては移動して…を繰り返したのですが、
当時のクラスはどこかギスギスしていて、どこにも馴染むことができませんでした。

そんな日々をしばらく過ごしたある日、ふとこう思ったんです。

「もう、無理して誰かと一緒にいなくてもいいや。
楽しくないし、嫌な会話に混ざるくらいなら一人でいた方がマシだな」って。

もちろん、一人でいるのは簡単じゃありませんでした。

特につらかったのは、授業中に先生から突然言われる
「はい、じゃあ今からグループ作ってね」の一言。

あれは、本当に地獄でした…。

とはいえ、いじめられていたわけではなかったので、
申し訳なさを感じつつも、その都度どこかのグループに「混ぜてもらう」ことでやり過ごしていました。

今も学校にあの文化って残ってるんでしょうか…。
“社会性を育てる”という意味では、自由にグループを作らせるのではなくて、
席が近い人とか、ランダムなくじ引きでグループを組ませる方がいいと思うんですよね。
そっちの方が、仲の良い人だけじゃなく、いろんな人と関わる経験になる気がして。

…と、少し話が脱線しちゃいましたが笑

こんなふうに、私は学生時代に「ひとりでいること」を選んだことがありました。

 

大切な繋がりは、離れてもちゃんと残った

そんなふうに、一人で過ごした学生時代。
でも人との “縁” って、本当に不思議なものです。

当時のクラスでは、誰とも深く仲良くなることはなかったはずなのに、
大人になった今、あの頃同じクラスだった子とひょんなことで再会し、
今でも細く長く、関係が続いている子がいます。

思うんです。
本当に縁がある人との繋がりって、たとえ離れてもちゃんと残るものなんだって。

もちろん、みんなが私のように「ひとりを選ぶ」決断ができるわけじゃないことも分かっています。
でも、どうしても合わない人と無理に一緒にいようとしなくても大丈夫。
ちゃんと自分と心地よく繋がれる相手とは、どこかで出会えるから。

今つらい繋がりに疲れている人がいたら、
どうか爆発してしまう前に、今日の私の話をふと思い出してもらえたら嬉しいです。

 

“繋がらない選択” がくれた心のゆとり

合わない人との関係に無理して時間を使うのではなく、
そんな私でも自然体でいられる人たちに時間を使う。
それだけで、今の私はとても穏やかで心地よい繋がりに囲まれて過ごすことができています。

そして、その “無理のない繋がり” から生まれた心のゆとりが、
また新しい出会いやご縁を自然と運んできてくれることもあるんです。

だから、無理に繋がらなくても大丈夫。

どうか、自分の気持ちを置き去りにせず、
自分自身も、そして大切な人たちのことも、同じように大切にしてあげてください。

そして、本当の縁を見逃さないでくださいね。

最後まで読んでいただき、ありがとうございました。

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