みなさんは「オタク」にどんなイメージを持っていますか?
私はゲームや漫画が大好きな、いわゆる“オタク”です。
アニメはあまり観ませんが、SFやファンタジー映画には目がなくて…
休日はファンタジーの世界にどっぷり浸かっていたいタイプです。
私が学生の頃は、まだオタクってちょっと隠したい趣味でした。
今よりもずっと否定的なイメージが強くて、堂々と好きなものを語れるような雰囲気じゃなかったな…と思います。
だからこそ、最近のオープンに趣味を楽しめる空気には嬉しさも感じています。
けれど一方で、仕事中や日常会話の中で、フィクションの例え話が出てくると、少し引いてしまう自分もいるんです。
「こういう話の仕方が、オタクのイメージを悪くしてるんじゃないかな…?」
そんな現実主義な視点の自分が心の中に同居している。
このモヤモヤは、誰かに伝えるためというより、
まずは自分の中で整理してみたくて——
今日はそんな気持ちをブログに綴ってみようと思います。
こんなとき、ちょっと引いてしまう自分がいる
職場の同僚が実は同じゲームや漫画が好きと分かって盛り上がるのって楽しいですよね。
私もそれはすごく嬉しいです。嬉しいんですが…
できればそういう話は休憩時間に盛り上がりたい。
職場っていう色んな人がいるなかで、そして業務時間中にそういう話で盛り上がるのはちょっと引いてしまう自分がいます。まあ、それは業務中なので否定的な人も一定数いるでしょうからこの感覚は比較的普通だろうなと思ってはいるのですが…
それとあわせて日常の会話や仕事中の例えでゲームやアニメの話が突然出てくると「…ん?」と思ってしまう。
実在しない人物やファンタジーすぎる理論展開に、内心「そんなこと現実では絶対起きないよ…」「いやそれオタク相手にしか伝わらない話…」と冷めてしまうことも。
それって、冷たいのかな?って自問した時期もある
もちろんその人を否定したいわけじゃないし、好きなものを否定したいわけじゃない。
ただ、時と場合は考えよう?って思う自分がいて、そこで私は現実とフィクションの線引きをきっちりしてる現実主義者なんだと気づきました。
“好き”と”現実”は両立してもいいはず
自分がかなりの現実主義だと気づいて思ったことは、現実主義だからこそ、物語やコンテンツとしてフィクションの世界が輝いて見えてとても惹かれるんだな、ということです。
好きを大切にしたいからこそ、現実を大切にする。
「空想大好きなオタクだけど、だからこそ、その空想を壊さないために現実もしっかり大切にする」
考えがまとまったので、私は明日からも自分のスタンスは崩さず、オタク趣味を職場に持ち出したり、オタクじゃない人を巻き込まない、ちゃんとわきまえたオタクとして毎日を楽しもうと思います。
コメント