”できる人”に見せるのをやめたら、職場で少しラクになった

日常

「仕事できる人に見られたい」
ずっと、そう思って働いてきました。

出来ない人、と思われて自分の存在意義が失われてしまうのが怖い。
余裕がないのに、頼まれごとを断れない。

「いい人・できる人」って思われたくて、背伸びばかりしていました。

でも、ちょっとだけ見栄を手放してみたら、仕事がほんの少しだけラクになりました。

「ちゃんとしてる私」でいたかった

出来ない人、そんな風に思われて自分の存在意義がなくなってしまい仕事を割り振ってもらえなくなるんじゃないか、そんな恐怖感がありつい背伸びばかりしてしまっていました。

さすがにで出来ないことを出来るということはありませんでしたが、今の自分には少し難しい内容のものを出来ると答えてしまったり、相手が知らない話をしていても知っているフリをして誤魔化しながら話を聞く、そんな場面がよくありました。

比べては落ち込んで、いつも余裕がなくて、毎晩ひとり反省会

そんなことをしているせいでミスをすることは度々あるし、ミスをしなくとも仕事のスピードが遅い。

ミスが続くと自己肯定感がかなり落ちて「みんなちゃんと出来てるのに何で私はできないんだろう…」なんて気持ちになるし、仕事のスピードが落ちると「きっと〇〇さんはもっと早く仕上がることを期待していたのに何で私はいつもこうなんだろう」と毎日のように寝る前に落ち込んでいました。

思い切って“できない”を出してみた

周りの期待に応えられるように、少し見栄を張って出来ると答えたことを余裕をもって出来るように、休憩時間や自宅で勉強もしました。

ただ、ある日ちょっとした出来事で今まで見栄で気づきあげてきたものがすべて崩されてしまいました。

その出来事、というか存在が‘AIです。

以前AIについての記事を書きましたが、職場の同僚がほとんど知識がないExcelVBAのコードをAIを使用して組んでいたのを目にしてしまい、私が唯一他の人よりも少し出来る分野だったこともあって私の今までの全てが崩れた音がしました。

少しメンタルがやられていた時期だったこともあり、今までの努力すべて否定されたような気持ちになってしまい立ち直るまで数日かかってしまいましたが、そこで気づいたことがあります。

私には出来ることはそんなに多くないし、出来ることのレベルも平均的で、見栄を張ったところでどうせいつかはバレる。

だったら見栄を張ったところで疲れるだけで何もいいことなんてないんじゃないか、と。

そう気づいて前ほど見栄を張ることをやめて、難しいことは難しい、余裕がないときは余裕がないと正直に伝えるようにしました。

そしたら意外と、仕事も人間関係もラクになった

正直に伝えることで今まで期待されていたことがなくなりがっかりされるんだろうな、と最初は思っていましたが…自分が思うほど周りは自分に期待なんてしていないんですよね。

なので職場での自分の立ち位置や仕事内容は良い意味でも悪い意味での変わっていませんし、正直に余裕がないと伝えて助けを求めると助けてくれる人が思ったよりもいることに気づけました。

実はそんなに期待なんてされてないし、助けてくれる人だって必ずいる。
それに気づくことが出来てから気持ちが少しだけラクになりました。

見栄ゼロは無理。でも、無理はしないことにした

とはいえ、自分の存在意義がなくなることへの恐怖感は消えないし、馬鹿にされるニュアンスでの出来ない人認定されることへは悔しさしかないので見栄を張ることを完全になくすことは難しいです。

それでも、無理をするレベルでの見栄は張らないようになったことで仕事に余裕が出来たことはもちろん、見栄を実現するためのやりたくない勉強をやめて自分のしたい勉強をする時間を作ることができるようになりました。

ここまで読んでくれたあなたはきっと真面目で私と同じように見栄を張ることで心が疲れてしまった人かと思います。

正直になることって最初はすごく怖いと思います。
でも今のままだと心が疲れすぎていつか必ず限界がきてしまうので、そうなる前に勇気をだして周りに助けを求めてみてください。

状況が大幅に改善されたり、問題が完全に解消される、なんてことはないかもしれませんが、確実に今よりも少しだけラクになるはずです。

コメント

タイトルとURLをコピーしました